【第2回】OBOGインタビュー フリーアナウンサー田添菜穂子さん

2011.08.12

横浜国立大学を卒業し、現在フリーアナウンサーとして活躍される田添菜穂子さん。今回は、田添さんが学生時代を経てアナウンサーを志し、アナウンサーになるまでの過程を中心に話を伺いました。




―大学を卒業し社会に出た事で初めて気付いた事はありましたか?

気付いた事ですか…社会に出たら本当に初めての事ばかりでした。私は学生時代に中村剛治郎先生のゼミで地域経済を勉強していました。
中村先生のゼミは厳しいゼミだったので当時はその厳しさに衝撃を受けたのですが、社会に出たらもっと厳しい事ばかりだったのです。まず学生時代よりも一層勉強しなければなりません。ただ中村先生にゼミで鍛えて頂いたので、本を読んで勉強する習慣がつきました。それは、社会に出た今でもすごく役に立っています。



―ゼミでの経験を詳しく聞かせて貰えますか?

当時、興味のあった授業の担当だった中村先生と仲良くなりまして、研究室に遊びに行ったりしていました。そのこともあってゼミ選択では、中村先生のゼミを選択しました。

中村先生のゼミは勉強に関してはすごく厳しいゼミで、いつも大体22時とか23時に終わり、日付を跨ぐこともありました。
中村先生も普段は優しいのですが勉強には厳しくて、例えば一つの言葉の定義に対しての議論が数時間に及び長引く事もありました。

しかし、先程の通りこの時に身に付いた勉強するクセは社会に出て本当に役に立っています。


―では、田添さんがアナウンサーを志したきっかけとは何だったのですか?

私にとってアナウンサーは小さい頃からの憧れでした。それで小中高と放送部に所属して、高校時代は放送コンクールにも出場していたのですが、私は福岡県大会止まりで、むしろ友人が全国大会に出るくらいでした。

高校生とはいえ全国大会にもいけないのに、放送局のアナウンサーになるなんて無理だな、と考え、一旦アナウンサーの夢は、諦めました。

ただ、どちらにしろ、外国と関わりを持って働きたいと思っていたので、外交官になることや新聞社や通信社で記者として働くことを志望して留学しましたが、留学中、日本の大使館は留学生にとって特に身近な存在でもなく、だったら海外の特派員になって日本に海外のことを伝える存在になりたいな、と感じながら帰国しました。

それで、就職活動で一番最初に始まるのは放送局、なかでもアナウンサーだったこともあり、小さいころの夢も思い出して受けてみることにしたのです。


―それでは、その後アナウンサーになるまでの経緯を教えて貰えますか?

最初は「とりあえず3ヶ月通ってみよう」位の気持ちでNHKのアナウンススクールに通っていました。

アナウンススクールでは、技術を習得するというよりも実際にカメラに向かって話すといった場慣れを経験出来た事が大きかったと思いますね。大学生の日常には、そんな場面ありませんからね。
また、同じようにマスコミを志望している仲間ができたのも大きな収穫でした。当時、横国の自分の周りにはマスコミ志望の友人はいませんでしたので。

結局、キー局には全部落ちてしまい、就職活動の仕切り直しを迫られました。
横国の友人達が東京に本社がある大手一般企業を受ける準備を着々と進めるなか、マスコミにこだわって地方局を受けるのか、と迷っている最中、アナウンススクールの先生に地方局のアナウンサーを紹介していただきました。その方がいきいきとお仕事をなさってる姿を拝見して、初めて実感を持って、「ああ、私もこの仕事がやりたい。自分が感動したことを人に伝える仕事がしたいな」と思ったのです。

そうと決まれば、その後はとにかく日本中の地方局を受け続けました。多いときは父の一ヶ月分の給料が交通費で消えることもありましたね。それからの就職活動は、まさに「人に熱意を伝えるという作業」だったと思います。そしてご縁があって、東北放送(TBC)に内定を頂き、晴れて自分の夢を叶える事が出来ました。


次回 (マスコミ業界で求められる資質とは!?) 第3回へ

(著者/横国naviGATE:澤田広平)

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