【第1回】OBOGインタビュー フリーアナウンサー田添菜穂子さん

2011.08.06

横浜国立大学を卒業し、現在フリーアナウンサーとして活躍される田添菜穂子さん。 今回は大学時代を中心に当時の話を伺いました。


大学時代の私は本当に普通の学生でしたよ。興味ある講義にはきちんと出席しながら時々は息抜きもして、放課後は家庭教師やシーガル(※1)のレジ打ちのアルバイトをしていました。時間のある夏休みにはちょっと長めに塾講師のアルバイトもしていましたね。
あとは、意外に思われるかもしれませんが「横浜少年野球団」という野球サークルに入っていました。入学当初はテニスサークルや、楽器が好きでフルートが吹けるので管弦楽団もいいかなと思っていたのですが、色々見て回っているなかで、「内容よりも雰囲気が一番いい所に行こう。」と思い、本当に素敵な方々ばかりの横浜少年野球団というサークルに入りました。

今でも当時のメンバーと交流が続いていて、飲み会をやったりしていますよ。彼らとは大学4年間だけでなく、一生の友人になりました。

※1 シーガル:横国内の第1食堂下にあるハンバーガーショップ


―数ある大学の中から横浜国立大学を選んだ理由は何でしたか?

中学高校と私立の学校に通わせて貰ったことや、3人兄妹の長女だったので兄妹達の学費がかかる事も考え、“国立大学へ行く”という事は決めていました。その中で、自分の当時の夢であった“マスコミ関係の仕事に就く事”“外交官になる事”か…どちらかを叶えるためには、出身の福岡県の近くよりもやはり関東の大学に行った方が良さそうだと思ったのですね。

関東と国立大学。その二つの条件を踏まえて、もともと興味があった国際関係の学部を持つ他大学を第一志望にすることを決め、さて第二志望は政治か国際関係の学部がいいけどどうしようかな。と考えていた時にあるエピソードを思い出したんです。

そのエピソードとは、その当時外交官を経て皇室に入られた皇太子妃雅子様が、お父様で同じく外交官でいらした小和田さんの「法学や政治学は本を読んで自分で学習することも可能だけれど、経済学は理論が難しいので、人から習った方がしっかりと習得できる。だから経済を専攻したらどうか?」という言葉で経済学部を選んだというお話でした。

だったら私も国際関係の学部を選ばないのであれば、外交官になるにしても、メディア関係に行くにしても、経済学部でもいいのかもしれないと思ったのです。それからセンター試験を受けて、ご縁があって横浜国立大学に入る事が出来ました。


―では、実際に横浜国立大学に入学してみて、入学前と入学してからのギャップというのはありましたか?

もしかしたらこれは横国生の皆さんも感じている事かもしれないですが、私は福岡の田舎の出身なので、“横浜”という名前がついているのだから、山下公園の隣に大学があると入学前は思っていたのです。ところが実際は大学の周りには山が多く、私が一人暮らしをしていた星川の桜ヶ丘というところは大学に行くにも山を登らないと行けないし、自分の家に帰るにも山を登らないといけなくて…思っていたのと全然違いました。

あとは横浜にある大学なのに、女の子が少なくて真面目な人が多いな、と感じました。横国生は私みたいに実は地方から来た人ばかりだった、みたいな。でもなんだか逆に安心感はありましたね。


―なるほど、想像と異なる環境だったのですね。ところで、田添さんは、在学中に留学を経験されていますが、その時のことを聞かせて貰えますか?

2年生から3年生にかけて大学を休学して、イギリスのノッティンガム大学に1年半留学していました。

周りにも留学が羨ましいと言われたりもしましたが、最初の頃は正しい英語が話せず、ネイティブの方と話が通じないこともしばしば

相手に自分の伝えたいことが正しく伝わらないということは本当に辛いもので、毎晩寝る前に「明日英語が喋れるようになっていればいいのに」と考えていました。

それでも全然喋れるようにはならなかったんですが、少し時間が経ってくると「2ヶ月前の私よりはちょっとだけ喋れるようになっている」と考えられるようになりました。

その経験はアナウンサーになってからも活かされていて、何か失敗した時でも「1年前よりは上達しているのかな」と考えることで乗り切っていけました。そういった意味でもすごく貴重な経験をしたと思います。



次回 (田添さんがアナウンサーを志したキッカケとは!?) 第2回へ

(著者/横国naviGATE:澤田広平)

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